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自転車でアプローチ 霊山 [自転車]


 14日の午後、自宅から自転車で伊賀市の霊山寺駐車場まで行き、そこから霊山山頂まで徒歩で往復しました。

 10月14日  晴れ のち 薄曇り

自宅0→0:35関宿西追分→1:20加太越え→1:46霊山寺駐車場1:55→
2:45霊山山頂2:55→3:14霊山寺駐車場3:23→3:45加太越え→4:10関宿西追分→
4:37自宅

平面距離  56.02km

沿面距離  56.18km

累積標高  1113m

自転車重量 約12kg

荷物重量  約1.7kg


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関宿西追分 以西の GPS軌跡

 自宅を出発したのは午後1時すぎで、いつもどおり遅い出発になりました。

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 関宿 地蔵院

 観光地ということもあり、関宿街道筋では行楽の方々が歩いておられました。


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 関宿西追分

 ここで旧東海道から離れ大和街道(一般国道25号線)に入りました。


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 25号線 通行止看板
 通行止看板を見て『今日の予定は変更か』としばらく考えましたが、道路の反対側を見たところ

「二輪車、歩行者の方へ
10月13日から10月20日の間で5日程度
昼間のみ(9:00~16:00)
全面通行止め とさせていただきます
現在の予定は以下のとおりです
10/15、10/16、10/17、10/18、10/19」

という看板があり、とりあえず当日14日は二輪車通行可ということが分かり、ほっとしました。
 工事場所は亀山市関町金場で、二輪車・歩行者が通行できるくらいの道幅が確保されています。


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 加太越え付近から 烏山(小平山)方面を見る
 ここから烏山山頂は見えず、少し下の肩が見えています。
 加太越えの上りは勾配が比較的緩くて自転車に優しい峠道です。
 加太越え峠から2.6kmあまり大和街道(R25から途中で旧道に入りました)を進むと交差点があり、右折すれば柘植駅方面、左折すれば霊山方面へ行くことができます。
 左折してしばらく進むと名阪国道・伊賀インター立体交差で、名阪国道下を通り抜けると左手に「ドライブイン伊賀レジャー」があります。食事やちょっとした買い物に便利です。
 標識に従って霊山西麓の林道に入りました。霊山寺駐車場までの登り坂は強弱を繰り返します。場所によってインナーロー(フロントは2段のコンパクトクランク)でのダンシングでないと上れないような急坂もあります。 
 以前「柘植駅から霊山」で書きましたが、この近辺には自転車ヒルクライム等、自転車トレーニングするのに嬉しい坂道があちこちにあります。
 自宅を出発してから1時間46分後やっと霊山寺駐車場に着きました。写真を撮りながら進むとけっこう時間がかかります。


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 霊山寺駐車場
 霊山寺を参拝したかったのですが午後3時を過ぎており、今回は立ち寄らず山頂往復のみすることにしました。
 林道を上ってゆくと、しばらくで登山道入り口に到達します。


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 登山道入口


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 途中の休息ベンチ等


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 六地蔵 


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 たいこ岩


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 田代池方面 分岐 


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 分岐から少し上にある休息ベンチ等


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 山頂手前の石段


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 山頂三角点


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 山頂から 西~北西方面


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 山頂から 青山高原方面


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 山頂部 南面


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 旧霊山寺の祠
 麓の霊山寺に参拝しませんでしたので山頂で参拝しました。


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 山頂遺跡説明板
 

 山頂で展望を楽しんだあと、急ぎ足で下山しました。
 帰りの自転車道中は、行きよりも上り坂が少なく快適に進むことができました。 
 夕刻の関宿街道通りは、ところどころでまだ行楽の方々が歩いておられました。

 出発から4時間37分後、おかげさまで無事今回のサイクリング+山歩きを終えることができました。


 感想
 長年自転車を中断していましたが、今月上旬にまた乗りはじめました。
 一回目は約45km、二回目は約30km、今回で3回目になりました。
 やはりといいますか身体能力は落ちていてスピードを出せなくなってきました。
 また歩行やランニング等と主に使う筋肉が一部違うため、慣れてないと長時間ではその部分の筋肉疲労が多めに出てきます。
 今回も霊山寺駐車場到着後の登り道で、一部の筋肉疲労のためかよちよち歩きしかできず『変な動きの歩き方だなあ』と思いながら山頂まで進みました。

 今の季節は暑すぎず寒すぎず自転車にはよい季節だと思いますので、条件の良い日にはまた乗ってみたいと思います。











岩尾山 自転車周回 [自転車]


 11月21日  晴れ


 ずいぶん間が空いてしまいまして、3週間ぶりのアップになります。
 今回はサイクリング+山歩きで、自宅から伊賀市と甲賀市の境にある山、岩尾山に行ってきました。


出発地0→1:18加太越→(途中食事休息20分)→2:45岩尾山入口→
3:33岩尾山山頂→4:01岩尾山入口→5:05野洲川・岩室橋→5:49鈴鹿峠→6:32出発地

距離 86.99km


 いつものように出発時刻は遅くなり、午前11時過ぎになりました。関宿西の追分までは、主に旧東海道を通りました。


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 関宿、西の追分
 この先の信号から大和街道(国道25号線旧道)に入りました。


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 加太川の流れと関西線鉄橋


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 加太越と一ツ家集落
 
 加太越の標高は約310mと低く、峠越えの厳しさは、あまり感じずに通過することができます。
 柘植で大和街道を離れて、県道50号線に入りました。この路線も比較的穏やかで、私の好きな道です。近年の道路整備で拡幅され、大変よい道になりました。


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 柘植の関西線踏切から、油日岳、三国岳、旗山等を見る
 この関西線踏切付近から見る鈴鹿南端部の峰々は美しく、紅葉時の晴天日は素晴らしい眺めになります。


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 県道50号線から笹ヶ岳方面を見る

 伊賀市槙山で県道49号線に合流し2回右折します。2回目の右折後しばらくで49号線と132号線の分岐があり、左の県道132号線に入ります。


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 槙山2回目の右折点から岩尾山を見る


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 岩尾山入口の案内板
 49号線と132号線分岐からのきつい上り坂を登り切ると、ほどなく岩尾山入口に到着します。
 ここに自転車を置いて、中腹の岩尾山息障寺に向かいました。境内入口まで舗装路が整備されています。


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 山門と曼荼羅岩
 岩の下には雨宿りできそうな隙間があります。


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 石段


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 本堂
 説明板によりますと、息障寺は、伝教大師が開山した天台宗の寺院だそうで、池原延暦寺とも呼ばれているそうです。

 岩尾山への登り口(周回道)は、本堂向かって右手と庫裏の南端にありますが、本堂向かって右手の登り口は進入禁止になっていました。


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 庫裏の横にある登り口
 入口標識はありません。キノコシーズンにはロープが張られていることがあります。(11月15日まで)


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 周回道の石仏
 石仏が短い間隔でたくさんあります。


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 大岩
 あちこちに大岩があります。岩尾山と呼ばれている所以ですね。


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 展望岩
 山頂へ行く前に、展望岩(展望台)に立ち寄りました。十数年前に来た時と大きく変わっていて、災害防止工事がなされていました。
 十数年前に来た時も、本堂向かって右手の登り口は岩崩れで通行止めになっていたのですが、そのときは住職さんにお願いして登らせていただきました。
 当時、住職さんは被害について心配しておられましたが、その後災害防止工事がなされたようです。今回、大岩に刻まれている不動尊磨崖仏には立ち寄りませんでした。


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 展望岩から、南鈴鹿の峰々を見る


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 展望岩から、布引の山々を見る
 鈴鹿の峰々と布引の峰々の違いがよく判ります。布引の山々がこれだけよく見える場所は珍しいように思います。

 
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 岩尾山三角点
 
 息障寺を参拝し、奇岩等を見物した後、下山しました。
 再び自転車に乗って、大沢池、岩尾池の池畔道を進みましたが、西日を受けた池畔の里山は綺麗でした。


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 大沢池堰堤からの眺め


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 岩尾池堰堤からの眺め
 正面の山は岩尾山。

 池を見物した後は、いよいよ帰路で、ただひたすら漕ぎました。久々の自転車でけっこう脚堪えがありましたが、きつい区間は軽いギヤでゆっくり漕いで、疲れをしのぎました。


 出発から6時間32分後、おかげさまで無事、今回のサイクリング+山歩きを終えることができました。






 

 


サイクリング 能褒野神社~三重県民の森 [自転車]

 2月21日  晴れ

自宅→能褒野(のぼの)神社0→0:36内部川・昭和橋→1:05近鉄湯の山温泉駅前→
1:34三重県民の森1:44→3:08能褒野神社→自宅
(能褒野神社南の駐車場を起点にしています)


 今回の走行距離 51.65km


 21日に、自宅から 亀山市の能褒野神社を経由して菰野町の三重県民の森 間の往復サイクリングをしました。余裕があれば、尾高山山頂までの山歩きもと考えていたのですが、時間不足で、山歩きは出来ず となりました。

 能褒野神社からのコースは、私のとっておきコースの一つで、鈴鹿扇状地の末端付近から上端付近へ進み、鈴鹿山ろくを北上するものです。扇状地のメイン道路から外れた道は、交通量が少なくて、きつい坂道もなく、また鈴鹿山脈の景色も素晴らしく、サイクリングには最適です。

 

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 能褒野神社南にある駐車場横の池


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 池の鯉


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 能褒野神社入口
 能褒野神社の主祭神は日本武尊です。古事記によりますと、倭建命(日本武尊)は能褒野の地で亡くなられています。この付近には、倭建命の陵墓とされる塚がいくつかあるのですが、1879年、内務省が現在の能褒野神社境内にある前方後円墳を倭建命の墓であると決定したそうです。
 
 この神社から1.2km東に、古代日本の律令国であった伊勢国の国府がありました。調べてみると、「ここには、平城京・平安京のような方格地割が現存している」とありますので、驚きですね。
 また能褒野付近には、第二次大戦中に明野飛行学校の分教場として開設された陸軍北伊勢飛行場がありました。私の子供のころには、その名残と思われるコンクリート構造物を見ることができたのですが、現在の残存構造物は僅かになってしまったようです。


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 鈴鹿扇状地から、入道・鎌・御在所・雲母・釈迦等の山々を見る

 椿一宮から水沢野田までは、一部区間広い道になり交通量少なく、その気になればスピードを出すことができます。
 水沢野田で内部川にかかる昭和橋を渡りますが、渡ったところの水沢本町あたりから坂道がきつくなり始めます。


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 水沢小学校北東隣りの池から、鎌ヶ岳(左)、雲母峰(中央)、釈迦ヶ岳等を見る

 水沢の町を離れて、雲母峰の麓を走るようになります。四日市少年自然の家の屋外活動エリアを過ぎたあたりが坂道の頂点で標高約255mと、今回のコース最高点になります。最高点の先で左折して道幅の狭い県道752号線に入ります。


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 金谷不動
 


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 近鉄湯の山温泉駅近くの踏切
 踏切を渡って、三滝川を越えると、雲母峰の山麓から御在所岳の山麓に移ります。北上すると、やがて千草に至ります。


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 千草から釈迦ヶ岳、竜ヶ岳を見る

 千草から朝明渓谷の入り口である一之瀬橋までは、標高差約90mと、登り応えがあって結構疲れます。


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 一之瀬橋から朝明川下流方面を見る
 橋の少し下流右手に千草水力発電所があります。  
 


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 三重県民の森 建屋付近


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 県民の森から伊勢平野方面を見る
 県民の森は、家族連れの方々が散見されました。
 ここから尾高山に登れるかなと思いましたが、時間的にすこし厳しそうでしたので、あきらめることにしました。園内を少し歩いてから、Uターンすることにしました。
 


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 大きな千草の常夜燈
 帰り道で、常夜燈に立ち寄りました。この常夜燈は、巡見街道と旧千草街道との交差点にあるもので、明治25年に建てられたものです。石材は千草発電所のさらに上流で切り出され、牛車で運ばれたそうです。

 帰路は往路よりも楽なのですが、近鉄湯の山温泉駅東の踏切から四日市少年自然の家付近のコース最高点までは、標高差が約130m(累積登行は約170m)ほどありますので、疲れた体にはかなりこたえます。最高点から先は、登りがほとんどありませんので、能褒野まで余裕のサイクリングになります。


 今回も、出発時刻が午後と、遅くなったのですが、トラブルはチェーン外れ程度の軽いものでした。おかげさまで、明るいうちに帰宅することができました。







 


東海道~伊勢参宮街道・日永追分~江戸橋~高田本山 自転車周回 [自転車]

 2月11日  晴れ


自宅→日永追分0→0:13高岡橋→0:27神戸城跡0:32→1:02堀切川・蓬莱橋→
1:38 国道23号線栗真中山信号→1:48江戸橋→2:00高田本山(専修寺)2:20→自宅
(表示の時間は、日永追分を0として累加計算しています。総計4時間10分)

走行距離 65.9km

 1昨年12月に、自転車で伊勢参宮街道を南下して、お伊勢参りをしました。今回は、そのときにコースから外れた伊勢参宮街道区間を、昨年同様自転車で走ってきました。
 このコースは、私のサイクリング定番コースで、過去に何度も走っています。ただ走るだけなら、3時間ほどで回ることができるコースですが、写真を撮りながらでしたので、やはりそれなりに時間がかかりました。
 伊勢参宮街道全般でそうなのですが、東海道のように標識は整備されていませんので、初めての場合は、迷いやすく、分岐点等、コース地図をよく見て確認しなければなりません。


 今回も自宅を午後に出発し、旧東海道を走って、起点の日永追分を目指しました。

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 東海道・庄野宿の町並み


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 石薬師宿・石薬師寺山門


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 石薬師寺境内


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 杖衝坂の上にある血塚社


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 伊勢参宮街道起点の日永追分
 ここの井戸は、本日も大繁盛で、たくさんの方々が水汲みに来ていました。

 ここからしばらくは、県道103号線を南下し、内部川の手前で右の旧街道に入ります。旧街道の橋は現在ありませんので、103号線の橋を渡って、旧街道に復帰します。


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 内部川右岸堤防道路
 江戸期は水管橋付近に有料橋があったそうです。内部川を渡ると河原田地区に入ります。


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 河原田の街道すじ

 県道103号線とJR関西線の踏切を横断してしばらくで、鈴鹿川の高岡橋を渡ります。左岸側は堤防下に、右岸側は堤防上に常夜燈があります。
 江戸時代末期まで、ここには橋がなかったのですが、1853年、神戸藩が通行料無しの木橋を建設したそうです。


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 高岡橋をふり返り見る


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 鈴鹿川右岸堤と常夜燈

 広々とした平野を南下すると、僅かな標高差の段丘にさしかかりますが、そこに神戸の見附跡があります。


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 神戸の見附跡
 ここから宿場になりますが、町並みには古い旅籠等が残っていて、街道宿場の雰囲気があります。


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 六郷川にかかる大橋
 このあたりは、神戸藩の水泳練習場だったそうです。少し下流の合流点から、金沢(かなさい)川となって、千代崎で伊勢湾に流れ込みます。
 その昔、鈴鹿川は、時に流路を変えたそうで、この金沢川が鈴鹿川本流だったことがあったそうです。

 大橋を渡ってすぐに分岐があり、右が新町、左が十日町で、左が旧街道です。ここには高札場があったそうです。


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 真宗高田派・専修寺別院
 「明治天皇行在所」の石柱があります。
 ある書物で、「坂東から伊勢国へ真宗布教した際の最初の拠点は鈴鹿三日市で、その本拠地には、現在も寺院群がある。後に伊勢国真宗の本拠地は三日市から一身田の専修寺(高田本山)に移った」という内容の記事を読んだ記憶があります。そこで今回、ネットで検索してみましたが、残念ながらそれに関する記事は出てきませんでした。


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 神戸城跡


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 城跡すぐ横の 神戸公園

 少し寄り道して、神戸城跡に立ち寄りました。神戸城を築いた神戸氏の歴史概略ですが、室町前期、桓武平氏の関盛澄(神戸盛澄)が神戸氏の初代となって、長くこの地の主となりました。戦国期に北畠氏から養子(神戸具盛)が入って血筋が変わり、本家の亀山城・関氏並みの力を持つようになりました。さらに織田信長の子、信孝(母は関氏一族)が具盛の養子となり、城下は発展しました。本能寺の変後、信孝が織田家の跡目争いで敗死し、具盛も1600年に死去したことにより、神戸氏の主流は絶えました。
 鈴鹿市と亀山市は近年、微妙な関係ですが、当時から主家分家の確執、神戸正武の亀山攻め等、いろいろあったんですね。

 神戸の町を過ぎ、金沢川の肥田橋を渡り、国道23号線を潜り抜けると、玉垣に入ります。街道はまた国道23号線にぶつかりますが、ぶつかったところで左折、少し進んだところで右折と、複雑で迷いやすいところです。フジクラ鈴鹿工場を過ぎて坂道を下ると、近鉄名古屋線につきあたり、踏切を横断して交差点を右折します。交差点左手の四日市方面への道は、通称「塩浜街道」とか「下街道」または「白子街道」と呼ばれています。


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 江島本町の街道を振り返り見る
 このあたりから白子南の堀切川まで、連子格子の民家が多く、旧街道の雰囲気があります。立ち寄りませんでしたが、白子港は、江戸期、紀州徳川家の領地で、伊勢湾岸で最も賑わった港だったそうです。

 堀切川手前で、経路は二股に分かれますが、今回は短絡路の方を進みました。堀切川の蓬莱橋手前で街道は右折します。


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 近鉄線踏切から堀切川と蓬莱橋を見る

 踏切を渡り、国道23号線を潜り抜けてしばらく進み、戻って23号線の堀切橋を渡り、右折して旧街道に入ります。磯山の町を過ぎると23号線に合流して、中ノ川を渡ります。渡って最初の信号を左折して近鉄線を横断し、旧街道に入ります。


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 巡礼道との追分
 右が伊勢参宮街道です。少し進んで、千里駅手前の交差点は右折です。近鉄線踏切を渡り、23号線を横断し、田中川にかかる大蔵橋を越えると、上野の町に入ります。
 
 上野には分部氏が築いた城跡があります(本城山青少年公園)。分部氏は藤原南家工藤氏流長野氏の一族ですが、中世伊勢国の有力豪族(長野氏、北畠氏、関氏等)の中で、戦国の乱世を生き延び、江戸期も大名として存続し、廃藩置県まで続いた(河芸の上野から近江大溝藩へ転封)唯一の豪族ではなかろうかと思われます。関氏も戦国乱世を乗り切りましたが、徳川の時代、1618年に関一政が大名改易、その子、氏盛が旗本寄合になりました。

 
 街道は、朝陽中学校手前で国道23号線を横断、しばらく23号線の東側を進みます。国道23号線と国道306号線の交差点で、街道は23号線に合流します。この交差点で国道を横断し、西側歩道に移動した方がよいでしょう。


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 国道306号線交差点付近で23号線と旧街道を振り返り見る

 国道の歩道を南へ進むと、栗真小川町で右手の旧街道に入ります。


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 栗真小川の近鉄線踏切から街道を見る

 栗真中山町で街道は23号線と交差しますが、渡れませんので、栗真中山町交差点まで戻り、国道を横断します。横断後100mほど国道を南に進むと、街道への入口があります。


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 栗真町屋町の街道を振り返り見る
 この撮影地点の少し先で巡礼道が合流します。合流点の追分には常夜燈が設置されています。三重大学前信号で街道は23号線に合流しますので、この信号を横断して、23号線の西側自転車道を南に進みます。


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 23号線沿いの自転車道と歩道
 三重県では珍しく、2車線の自転車道です。歩行者と自転車の事故が多発したため、自転車道が作られました。

 江戸橋北詰信号を右折すると、江戸橋に到着です。


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 江戸橋
 


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 伊勢参宮街道(右)と伊勢別街道との交差点(追分)
 昨年来たときには、写真正面部分に「安永六年」の銘が刻まれている「江戸橋常夜燈」があったのですが、撤去されていました。調べてみたところ、現在、移築工事中だそうです。

 追分到着で昨年の走行部分と合わせて、ブログ内での自転車による伊勢参宮街道の全線走破が完了しました。帰りは高田本山(専修寺)に立ち寄ることにしていましたので、旧伊勢別街道を進んで本山に向かいました。


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 江戸橋駅の北にある踏切から旧伊勢別街道を見る

 一身田駅前の交差点を右折すると、しばらくで高田本山です。


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 高田本山前の景観


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 山門


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 鐘楼


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 御影堂
 巨大な木造建築物です。


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 如来堂
 御影堂ほどではありませんが、この建物も大きいです。


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 鐘楼前から御影堂と如来堂を見る


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 唐門

 高田本山では、毎年1月9日から16日まで、お七夜と呼ばれる報恩講があります。門前には露店が並び、たくさんの人で賑わいます。
 私の子供のころは、家族あるいは同級生とお七夜に行き、食べ歩いたりするのが楽しみでした。恥ずかしながら、当時は賑やかなお祭りだと思っていました。

 高田本山を参拝した後、しばらくの間は伊勢別街道を走り、中勢バイパスの大里窪田出口信号付近で伊勢別街道を離れて、いつものコースで帰路につきました。


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 大里窪田の常夜燈

 本日は、弱い海風が吹く程度で、穏やかな天気に恵まれました。おかげさまで、4時間あまりの快適な街道サイクリングを楽しむことができました。







 


伊勢参宮街道を南下して お伊勢参り (自転車) [自転車]

 12月23日  晴時々曇り


自宅0→0:45津江戸橋常夜燈0:48→1:30雲出川右岸常夜燈→1:44三渡川橋→
2:18櫛田川の渡し→2:48宮川の渡し→2:59伊勢神宮(外宮)3:19→
3:40伊勢神宮(内宮)4:10→4:20サークルK内宮前店→
4:30朝熊ヶ岳登山口4:50→5:52朝熊ヶ岳山頂(八大龍王社)5:57→
6:07金剛證寺6:13→6:58朝熊ヶ岳登山口7:03→7:25猿田彦神社7:30→
8:18サークルK明和斎宮店8:28→10:10ファミリーマート津丸之内店10:23→
11:30自宅



 津市江戸橋から自宅までの距離は二十キロメートル弱です。自宅から金剛證寺までの距離は片道七十数キロメートルです(参拝等の距離を除く)。


 遷宮後、お伊勢さんにお参りしたいと思っていたのですが、本日は日よりも良く、天皇誕生日でもありますので、久々に自転車でお伊勢参りに出かけることにしました。また、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊をかけねば片参り」といわれているそうですので、神宮の鬼門を守る寺、朝熊の金剛證寺にも立ち寄ることにしました。
 先週、長時間の持久運動について書きましたが、たまにはこういう長距離もやりたいです。


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 津市江戸橋の常夜燈
 ここは伊勢参宮街道と伊勢別街道との分岐点(追分)です。自宅から45分で到達しました。ここから伊勢神宮内宮前まで、困難な区間を除いて、ほぼ忠実に伊勢参宮街道を進みました。


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 津市大門の標石と津観音寺山門を見る

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 真教寺。江戸期のこの辺りは、蕎麦屋や茶店等で賑わっていたそうです。

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 雲出川橋右岸、移設された常夜燈
 雲出川の渡し付近に着きました。常夜燈の左に見えるのが堀坂山、右に見えるのが矢頭山です。私の40代の頃は参宮街道の雲出川付近両端をつなぐ木橋があったのですが、残念なことに老朽化で取り壊されてしまいました。現在は新しい雲出橋が旧橋跡の西に建設されています。


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 三渡橋
 この橋の右岸側堤防道が初瀬街道の東の起点(追分)です。石標や常夜燈(写真左端付近)があります。


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 松阪商人の館
 旧小津清左衛門家で、一般に公開されています。写真左の橋(坂内川)の向こうに金物屋の須川屋さんが見えています。


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 櫛田川左岸に着きました。
 この辺りに櫛田川の渡し場があったそうです。橋を渡ってしばらく進んで、斎王の禊、清め場とされた祓川を渡り、さらに進むと斎宮分岐の信号交差点に到達します。左折すれば県の斎宮博物館まですぐなのですが、今回は立ち寄りませんでした。


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 老舗、明野の へんば餅本店(へんばや)
 「へんば」は「返馬」で、往路の参宮客がこの辺りで馬を降りて返し、参宮したそうです。


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 宮川橋
 この付近が宮川・桜の渡し(下の渡し)です。この橋の少し上流側に有名な桜の名所があります。


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 伊勢神宮・外宮 西北の入口
 交通整理の方に伺って、自転車を指示されたところに置きました。


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 外宮・正殿前
 近くの「三つ石」はパワースポットだそうで、人だかりができていました。

 
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 伊勢・古市の町並
 江戸・吉原、京都・島原と並ぶ三大遊廓街だったそうです。


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 猿田彦神社
 往路では写真撮影のみでしたが、復路で参拝しました。


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 伊勢神宮・内宮前広場
 自転車で来るときは、たいていここに駐輪させていただきます。


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 五十鈴川と御手洗場

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 小魚の群れ
 御手洗場には小魚が群れていて、たくさんの方々がその群れを撮影していました。


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 内宮・正殿前
 参拝の後、順路にしたがって進みました。


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 白馬

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 餅つきイベント
 内宮参拝の後、五十鈴川沿いに下ってゆくと、おはらい町主催で、餅つきイベントをしていました。無料のふるまい餅が提供されていましたが、たいていの人は寸志を出していたようです。私も食べたかったのですが、順番待ちの列が長く、この後の予定に響きそうでしたので、遠慮しました。
 サークルK内宮前店で昼食のオニギリを買って、朝熊に向かいました。

 
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 朝熊ヶ岳登山口駐車場と東屋
 ここで食事休息した後、朝熊岳道経由で山頂に向かいました。


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 橋上からケーブルカー跡を見る

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 二十二町標石(朝熊峠付近)
 朝熊岳道の所々で見かけた距離標石もこの二十二町で終わりです。ここは宇治岳道との合流点です。ケーブルカーのあった頃は、ここにたいへん繁盛した「とうふや旅館」があったそうです。
 ここからしばらく舗装道を歩いた後、左折して山道に入りました。


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 山頂の八大龍王社
 やっと山頂に到着しました。自転車漕ぎの後のためか、たいへん疲れました。いつもよりも時間がかかりました。
 八大龍王社をお参りした後、金剛證寺に向かいました。


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 山頂から鳥羽、伊良湖方面を見る
 菅島、神島等、鳥羽沖の島々がよく見えました。


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 金剛証寺、経塚群跡 分岐
 左の地道へ入りました。遠回りになりますが右の経塚群跡経由もOKです。


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 金剛證寺本堂(摩尼殿)
 金剛證寺は6世紀、欽明天皇の創建で、弘法大師が中興、禅師東岳文昱が再興して、現在は臨済宗南禅寺派に属しているそうです。


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 開山堂
 弘法大師を祀るお堂だそうです。


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 明星堂
 金剛證寺最初のお堂だそうです。

 金剛證寺境内付近をもっと歩きたかったのですが、時間的に厳しくなってきましたので、本堂参拝の後、折り返すことにしました。

 自転車での帰路はかなり厳しくなりました。宮川を越えた辺りからシャリバテ気味になり、3速しか踏めなくなりましたので(往路では5速~7速を踏んでいました)、コンビニに立ち寄り、補給をしました。私の場合、自転車長距離は山歩きよりも消耗が大きいように思います。
 その後、津市内でも補給をしましたが、補給後は元気が復活し、4速・5速が踏めるようになりました。

 久々の長時間行動になりましたが、自宅出発から11時間30分後、おかげさまで無事帰宅することができました。
  
  
  
  
  





  
  
  
  
  

  
 


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