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東海道 石部宿東・三雲~草津宿~瀬田・大江 [旧東海道]



  謹賀新年

 旧年中は当ブログにご訪問くださいまして有難うございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



 さて、近年の運動始め恒例になっていますが、本年も歩き始めは旧東海道の街道歩きになりました。昨年の最終地点が三雲でしたので、その続きで、三雲付近から西に向かうことにしました。
 本日は、大津市石山駅まで歩くことを目標にしました。
 実際に歩いた結果はといいますと、積雪等で路面が滑りやすい状況で、大津市瀬田・大江までとなりました。



 1月3日  晴れ



出発地00:14三雲駅前→0:33大沙川隧道0:390:57由良川隧道→1:38石部田楽茶屋→
1:47石部西の東屋2:042:59手原の稲荷神社→3:48草津宿本陣→4:20野路の玉川→
5:00大江の点滅信号→5:12JR瀬田駅

歩行距離 26.82km


 

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 野洲川横田橋から三上山方面を見る



 正月1日・2日と雪で、私の住んでいる町でも積雪がありました。3日朝の積雪は3cmほどで、道路上の雪はすぐに解けました。滋賀県側はどうだろうかとアメダスで調べてみたところ、降水量は少なく、まあ大丈夫だろうと出かけたのですが、鈴鹿峠を越えて西へ進めば進むほど雪が深くなってきましたので、『今日は歩きにくいかな?』と思いつつ、横田橋手前に着きました。
 



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 三雲駅前交差点から西に向かって旧東海道を見る

 右手の石柱は微妙大師(万里小路藤房)のもので、道標です。
街道の日当たり部は雪が融けていましたが、日陰には雪がありよく滑りました。


 

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 JR草津線踏切南の標識

 街道は、踏切を横断して、草津線の南側を歩くようになります。
 標識右後方に見える山は十二坊(岩根山)

 十二坊は登りやすく、山頂からは雪をまとった鈴鹿の山々や金勝の山々の眺めが素晴らしいです。中腹にある国宝善水寺は、元明天皇の勅願により建てられ、十二坊という名は、その僧坊(僧侶の住居)が12あったことによるそうです。




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 天井川・大沙川を貫くトンネル

 隧道上天端の左手に弘法杉が見えます。


 

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 弘法杉


 



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 弘法杉横のお堂から大沙川を見る

 お参りの方がたくさん来られたようで、お堂前まで、雪上にたくさんの踏み跡がありました。


 大沙川を過ぎると直ぐに三雲城跡への分岐標識がありますが、今回は立ち寄りませんでした。

 

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 三雲城跡のある山(山の稜線付近に大きな八丈岩が見えます)

 三雲城は、室町時代の文明期(1487)、六角高頼の命により三雲典膳が築城したそうです。足利義尚の六角攻めや、戦国期には、繖山の観音寺城から逃げた六角氏の臨時本城になったそうです。



 

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 天井川・由良川を貫くトンネル

 現在、橋の工事中で、車等は通行止めです。


 



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 由良川トンネル西の街道

 この辺りから雪が深くなり、屋根上には30cmほどの雪が積もっていました。


 



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 北島酒造

 地酒「御代栄(みよさかえ)」で有名な老舗です。


 

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 石部田楽茶屋

 緩やかな起伏を繰り返す旧東海道を進んでゆくと、右折点に到達しますが、そこに茶屋があります。浮世絵師・歌川広重によって描かれた田楽茶屋を再現したものだそうです。本日は正月休みでした。 


 茶屋前で右折、少し歩いて左折すると、しばらくで左手に東屋が見えてきます。ここで補給休息をさせていただきました。




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 休息させてもらった石部の東屋



 東屋を出発して、しばらく歩くと、三上山が間近に見えてきます。



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 三上山。手前の橋は名神高速・野洲川橋


 

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 六地蔵の左カーブ付近の街道

 連子格子がベンガラ塗りです。三重県側の街道筋ではまず見かけませんが、滋賀県側の街道筋では、ベンガラ塗りの格子をよく見かけます。


 

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 旧和中散本舗

 徳川家康腹痛のおり、腹薬を献上したところ、直ぐに治ったので、家康から和中散という名をもらったそうです。


 



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 六地蔵の一里塚跡

 旧和中散本舗から少し進むと、左手に一里塚跡があります。


 



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 手原の稲荷神社


 



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 足利義尚 鈎(まがり)の陣所ゆかりの地 石碑 (堤の向こうは鈎池)

 日野富子の子である足利義尚の六角攻め陣所跡ですが、実際の陣所跡は、350mほど西北西の永正寺付近だそうです。
 義尚は鈎の陣中で病没したそうです。


 



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 草津市標識と旧草津川の堤に登る道

 旧東海道は直進路を離れて、堤の上に登ります。草津川は江戸時代後期に天井川となったそうで、災害防止のため、滋賀県は1982年に放水路の工事に着手し、2002年に完成しました。そのため、この川は廃川となりました。
 旧草津川を越えてしばらく進むと、東海道と中仙道の分岐点に到達します。


 



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 旧東海道・旧中仙道 分岐点

 右手が旧東海道で、旧草津川を潜り抜けるトンネルの方の道が旧中仙道です。

人通りの多い道で、人物ありの写真になりました。


 



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 分岐点から直ぐのところにある草津宿本陣

 本日は正月休みで、閉鎖されていました。


 



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 草津宿の街道筋

 この辺りより南の街道筋は、数年前までアーケード街だったのですが、撤去されて明るい街道筋になっていました。


 



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 街並博物館

 





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 立木神社

 立木神社境内は初詣の人たちで賑わっていました。

 


 立木神社を過ぎてしばらく歩くと、草津川放水路(新草津川)にかかる矢倉橋を渡ります。



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 矢倉橋から金勝(こんぜ)の山々を見る


 



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 矢橋道標

 矢橋街道との分岐点で「右やばせ道 これより廿五丁大津へ船わたし」と刻まれています。写真の瀬川瓢泉堂ですが、昔はここが「うばがもちや」だったそうです。現在の「うばがもちや」本店は旧草津川堤防上の降り口から国道一号線に降り、歩道橋を渡って北へ一号線の歩道を少し歩いたところにあります(降り口から360mほど)。

 矢橋道ですが「瀬田へまわれば三里のまわり ござれ矢橋の舟にのろ」とうたわれたそうです。水上路の危うさから「もののふの矢橋の船は速けれど 急がば回れ瀬田の長橋」といううたもあり、「急がば回れ」の語源は、ここにあるそうです。


 旧東海道はやがて一号線と鋭角で交差しますが、一号線を横断してすぐに野路の一里塚跡があります。

 

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 野路の一里塚跡


 



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 野路の玉川(萩の玉川)

 日本六玉川の一つで、平安期には歌所として有名になったそうです。湧き出る現在の泉は飲用不可になっています。

 野路の玉川付近は、鎌倉期まで宿駅として栄えたそうですが、宿が草津に移ってからは寂れてしまったそうです。


 



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 弁天池

 農業用の溜池で、日当りがよいところです。歩道の横にはベンチが設置されています。


 

 山の手の街道を歩いてゆくと、やがて視界が広がり、信号のところで月輪池が見えてきます。



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 東海道立場跡の石碑と、水の枯れた月輪池





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 大江の点滅信号 旧東海道はここで左折
 JR石山駅を目指してアップダウンのある街道を歩いてゆき、大江の瀬田小学校のあたりで、16時15分過ぎになりました。16時30分には駅に着くことにしていましたので、石山駅までは無理になりました。街道歩きはここで中止、右折して最寄の瀬田駅に向かいました。
 



















 






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