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東海道 四日市・海蔵川~亀山・井田川 [旧東海道]

1月12日  晴一時曇


四日市・海蔵川左岸提3:24→3:45諏訪神社→4:37日永追分→5:13杖衝坂→
5:47石薬師入口→6:07石薬師一里塚跡→6:39庄野本陣跡→7:13安楽川→7:45井田川駅
(時間は出発地からの経過時間)

 海蔵川左岸の堤防でゆっくり休息した後、ふたたび街道を南に向かって歩き始めました。休息中に風向きが変わり、寒くなりましたが、歩き出すと体が温まりますので、これまでと変わらず、上はシャツ2枚で歩きました。


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 海蔵橋から海蔵川左岸堤の桜並木を見る

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 三滝川・三滝橋から鈴鹿山脈方面を見る

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 なが餅・笹井屋本店
 三滝橋を渡るとすぐに笹井屋があります。笹井屋は戦国時代の天文16年(1550年)の創業で、もとは日永にあったそうです。


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 諏訪神社
 勧進は鎌倉期と室町期の二説あるそうですが、近年は室町期が有力になっているそうです。本日、久しぶりにお参りしました。15日がどんど焼なので、お札・注連縄等が積みあげられていました。


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 大入道
 本日も諏訪商店街の大入道が長首を伸縮させていました。私の若かったころ、諏訪商店街はたいへん賑わっていたのですが、連休にもかかわらず、通行人はまばらで実に寂しい人通りでした。大型ショッピングセンターに買い物客が流れているのでしょう。ここにかつてあった「岡田屋」の屋上遊園地で遊んだことや、「関西電波」・「サウンドラボ名泗」等の電化製品店でオーディオ・コンポーネントを買ったことを思い出します。その岡田屋が「イオン」に成長したわけですから驚きで、昔の三井「越後屋」に並ぶ現代の伊勢商人でしょうか。


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 日永・名残りの松
 四日市市内には、江戸期の東海道・街道松が二本残っているのですが、この松が前半で紹介した「かわらずの松」につづく二本目の松です。ここも並木道だったそうですが、道路拡幅により、他の松はなくなってしまったそうです。


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 醸造場、伊勢蔵(いせくら)
 日永の南部、泊付近は味噌屋、酒屋、桶屋、両替屋、茶屋等、多くの店が並んでいたそうです。


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 日永の追分
 東海道と伊勢参宮街道の分岐点


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 追分の湧水
 本日朝、桑名市内の交差点で、信号待ちで一緒になった方から「鈴鹿の伏流水の湧き出し、追分の水を飲んでほしい。その西の小学校にもおいしい湧水がある」と勧められました。私は「今まで飲んだことがないので、今日はぜひとも飲もうと思います」と答えました。追分の水は今まで面倒で飲まなかったのですが、実際飲んでみると……おいしい水でした。
 鈴鹿山脈の東麓から平野部にかけて、各地に湧水や自噴の井戸があります。四日市市内に酒造場が多いのも、良い水が得られるからなのでしょう。おもしろいのは赤水や坂部の一部の自噴井戸で、一般の井戸よりもかなり温度が高く、冬に湧き出し口付近の水溜りに長靴を履いた足を入れると、ほかほか温まります。


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 内部川・内部橋から上流側を見る

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 内部橋右岸にある「平成の一里塚」
 位置的に一里塚ではありませんが、休息施設が整備されています。


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 うつべ町かど博物館
 杖衝坂にあり、水・土・日・祝祭日の9時~12時開館だそうです。


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 史跡・杖衝坂
 日本武尊が杖をついて登った坂で、坂を登りきったところには、命の足の出血を封じたという所伝から「血塚」という祠があります。
 この先の一号線との合流点付近に采女の一里塚跡があります。一里塚跡から先の街道は、庄野宿まで、一号線と合流したり、離れたりを繰り返します。


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 石薬師宿入口にある地蔵堂。もとは道の向かい側にあったそうです。

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 石薬師・小澤本陣

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 石薬師・佐々木信綱記念館と佐々木信綱生家

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 石薬師の一里塚跡
 江戸時代からの榎は伊勢湾台風で倒れてしまったそうです。


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 加佐登付近の堤防道路(国道一号線・旧東海道)から鈴鹿川下流方面を見る

 日本コンクリート工場南端付近の信号を右折して、100mあまり進んだところにある信号を左折すると、庄野宿の町並みが現れます。


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 庄野宿・家並
 


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 本陣跡
 本陣跡のすぐ南が高札場跡です。


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 庄野・川俣神社のスダジイ
 推定樹齢300年で、県の天然記念物だそうです。


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 女人堤防碑
 女人堤防碑は昭和32年建立です。昨年の「東海道 庄野宿西から関宿へ」を参照ください。


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 中富田・川俣神社
 神社の楠の大木は推定樹齢600年だそうです。神社東向かいには中富田一里塚がありました。

 この中富田が旧亀山藩領地の東端(飛地は含まず)だったのですが、現在は鈴鹿市になっています。旧井田川村が亀山と合併するとき、大論議になったそうですが、結局、井田川村のうち小田・和泉・西富田・中富田が希望により鈴鹿市に編入、それよりも西が亀山と合併存続(鈴鹿に編入を望まず)で落ち着きました。現在、亀山市にも鈴鹿市にも井田川小学校(鈴鹿市側の校名は少し前まで和泉小学校)があるのは、その理由によります。


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 西富田・川俣神社


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 安楽川・和泉橋から西方を見る
 写真では判りにくいですが、錫杖ヶ岳左に陽が沈む寸前でした。


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 井田川駅前
 井田川駅前を通り過ぎて、国道一号線の歩道橋を渡り、さらに進みましたが、暗くなり始めましたので、井田川駅に引き返しました。

 これで三重県内の旧東海道を自分的には詳しくたどれたように思います。写真撮影枚数は、神社仏閣・町並み等かなりの数になりますが、容量の関係であまりアップできないところが、少し残念です。

 本日も長い街道歩きになりましたが、良い天気に恵まれました。おかげさまで歩行開始から7時間45分後、無事街道歩きを終了することができました。
  
  
  
  
  
  
  
  
  

   
 


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