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ここ50年ほどの山道の変化 水沢越え [その他]


 山道は年月とともに変化してゆきますが、水沢越えも私がはじめて入り始めたころよりかなり変わりましたので少し書いてみたいと思います。
 下図は先日11月6日の歩行図です。

元越谷中股歩行図.jpg
 緑の実線 ━ 11月6日歩行線

 黒の実線 ━ 林道(ジグザグ線より先の上流側は比較的新しい林道)
 緑の破線 ━ 比較的新しい林道開設以前によく利用されていた山道 

 元越谷に興味を持ち始めたのは1974年春のことで47年前になります。美しい渓流に感動して1980年代前半まで回を重ねて沢登りをしました。
 当時は沢登り愛好家人口が少なかったようで、あるいは元越谷があまり注目されていなかったのか、日曜祭日等に沢登りをしても人に出会うことは稀で、その1980年代前半までに人と出会ったのはたった一回のみでした。近年の状況とは大きく異なりますね。 

 山道について今昔比較
 元越谷入口の橋からジグザグ林道近くの林道行き止まり付近までの元越谷林道は1974年ころ、すでに完成していました。
 当時、元越谷の砂防堰堤は少なくて今よりも下方から沢登りに耐える渓でした。古道についてですが、元越谷林道と重なって消えた部分以外には一部古道が残っていますが消失した部分も多いです。当初は上図ジグザグ線下方の堰堤は存在してませんでしたので北股と中股との合流点は明確でした。ただし古道は合流点よりもかなり上流で北股を横断していました。現在の比較的新しい林道と同様、古道は滝1付近まで中股から相当離れたところを通っていました。古道は滝1少し下流で支沢と中股を分ける小尾根に取付きました。ここが現在落ちていて難所になっています。古道は尾根上を上に進んで行き滝2の右岸を離れて上流側に進み、やがて現在の新林道に接近します。
それより先の新林道と旧道は現在重なったり離れたりしています。新林道は上図ケルンより少し西方で標高750mよりも上方に伸びています。沢側林道は標高750mケルンで終わりです。
 ケルンから水沢峠まではレポートの通りで現在かなり荒れていますが、1974年~1980年代前半までのころは快適良好な山越え道でした。

 三重県側についてですが、古道はたぶん四日市市宮妻町山之坊から現在の金山ダムに向かっていました。鈴鹿市大久保町からも金山ダムまで道がありました。現在もあります。
 入りはじめたのは1968年で、級友たちと自転車アプローチ+山登りでよく利用しました。
 金山ダムから山中に入り宮妻峡ヒュッテまでよい山道がありました。近年は金山ダムが三重用水のダムになったためかダム上流側が浚渫メンテされるようになり、当時の道は水没して通行不能になっています。大昔はよく利用されたルートではないかと思います。
 宮妻峡に林道が開設されてからは、沢沿いの道はほとんど利用されなくなったのではないかと思います。宮妻峡ヒュッテから峡谷を遡行したことがありますが、砂防ダムが多くて渓歩きとしてはいまいちでありました。古道についてはよく判りませんでした。
 現在の水沢峠登山道入口標識からかなり離れたところに渓谷方面へ降りてゆく道がありました。ひょっとして残存している古道かも知れません。
 その林道の水沢峠方面入口標識から先については現在もよく利用されている道ですので特に書くことはありません。

 以上ですが、鈴鹿山中はどこも年月の経過とともに推移変化しているのを実感しています。 





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