東海道 蝉丸神社~京都・三条大橋~JR山科駅 [旧東海道]
1月25日 曇り後晴れ
2:32蝉丸神社2:48→4:06蹴上・インクライン跡地4:18→4:39三条大橋4:55→
5:55JR山科駅
(表示時間は、出発地からの累加時間です)
蝉丸神社で補給休息させていただき、元気が出てきたところで、再出発しました。旧道から一号線に合流し、右に京阪京津線、名神高速を見ながら降ってゆくと、しばらくで名神高速の高架下を通り抜けますが、通り抜けたところに交番があり、そこで左の旧街道に入ります。この辺りは、旧東海道沿い付近が大津市と京都市の境界になっています。
髭茶屋の追分
京街道(大坂街道)と東海道(右)の分岐点です。
横断歩道橋で一号線を渡ります
一号線を渡ったところは、まだ大津市で、渡ったところから300mほど進むと、京都市山科区です。
徳林庵
臨済宗南禅寺派の寺で、山科廻地蔵、山科地蔵、四宮地蔵のほか、たくさんの呼称があります。
緩やかな下り坂の旧街道を下ってゆくと、やがて旧東海道は三条通と合流しますが、その交差点を横断し右折して三条通を260mほど進むと、また東旧海道分岐があり、左折します。
三条通から旧東海道へ入る分岐
この分岐は、標識が付けられましたので、見つけやすくなりましたが、目立たないので、うっかり見逃して直進してしまいやすいところです。
日ノ岡の急な登り道
たいへん急な坂道です。しかし、東海道・采女の杖衝坂のような強烈な急勾配ではありません。
三条通に合流
道幅の狭い急坂を登り、しばらくすると、ふたたび三条通に合流しますが、そこに広場と車石記念碑があります。
車石は、牛馬車の車輪幅に合わせて敷設された凹状石ですが、これは、急坂等の土道ではすぐに浸食されて荒れてしまうので、道を保護するためや、牛馬車がコントロールを失ってスタックするのを防ぐために設けられたものですね。
日ノ岡峠で山科盆地と別れ、京都盆地に入ります。しばらく進むと蹴上浄水場の侵入防止柵沿いになります。
右手に蹴上のインクライン跡が見えてきましたので、立ち寄ることにしました。
蹴上インクラインは、琵琶湖疎水の急斜面で船を移動させるために敷設されたもので、全長582mと、世界最長の傾斜鉄道跡だそうです。
琵琶湖疎水の管
蹴上信号から三条通を100m弱進むと、旧東海道への分岐があり、右の細道に入ります。細道はやがて平安神宮へ向かう通りに突き当たります。
細道の突き当たりから先の旧東海道は判然としないそうですので、三条通に復帰して、三条大橋を目指しました。
三条大橋
旧東海道西の起点に到着しました。近年は、自転車で何度も到達しているので、特別な感動はありませんが、歩いて渡れるということはすばらしいです。
三条大橋上から鴨川下流を見る
鴨川というだけあって、堰堤下の水面には、鴨がいました。
三条大橋西詰の 弥次喜多像と撫で石
弥次喜多像は、1994年に三条小橋商店街振興組合が建てたそうで、その前には撫で石があります。撫で石も、振興組合が「旅の安全を祈願して設置しました」と説明板に書かれていましたので、撫で撫でをしました。
いつもお世話になっている近くのローソンでコーラとおにぎりを買って、コーラを飲みながら思案しました。JR京都駅から帰るか、それとも、もう少し歩くか…
時間的には余裕があり、あと1時間以上歩けそうでしたので、折り返して、蹴上まで三条通の南側を歩き、山科駅まで、撮りきれなかった写真を撮りながら戻ることにしました。
三条大橋東の高山彦九郎像
1700年代後半に活躍した尊王思想家で、幕末の志士たちに大きな影響を与えたそうです。
この像前は、有名な待ち合わせ場所ですね。この像から100mほど東に、小学校の修学旅行でお世話になった、思い出深い「いろは旅館」があります。
坂本竜馬・お竜 結婚式場跡
竜馬とお竜は金蔵寺で祝言をあげたそうです。2011年ころまで、ここには東山ユースホステルがありました。現在はマンションです。
佛光寺本廟
ここが佛光寺本山なのかなと思って調べてみたら、そうではなくて、故人を祀る霊廟なんですね。
日ノ岡、車石記念碑のある広場
往路では、たいへん混雑していて、全景を撮れませんでしたが、帰路で撮ることができました。
今回は、天候に恵まれた一日でした。おかげさまで、無事街道歩きを終えることができました。